新聞 記事コラム
新聞各紙のコラム欄、(北海道新聞 卓上四季、経済新聞 春秋、毎日新聞 余禄、朝日新聞 天声人語、読売新聞 編集手帳orよみうり寸評)を掲載。 スピーチ、資料作りにお役立て下さい。
2008-03-28(Fri)
メンツ 編集手帳3月28日付
3月28日付 編集手帳
古川柳に、「本降りになって出ていく雨宿り」という句がある。小降りのときに決断すればいいものを、本降りを待ってずぶぬれになった経験は昭和史にもある◆日本陸軍は天候ならぬ戦況が日に日に悪化するのを眺めつつも旧満州(いまの中国東北部)から撤兵しようとはせず、国をずぶぬれにした。
「そこで戦死した英霊に申し訳ない」という理由からである◆「これはじつは空念仏(そらねんぶつ)(=偽り)で、本当はその現地の将軍たちが全部メンツをなくすというだけのこと…」であったと、評論家の谷沢永一さんが著書「山本七平の智恵」(PHP文庫)に書いている◆経営難に陥った「新銀行東京」
もメンツを優先して撤兵を拒否する道を歩むらしい。都民の税金から400億円を追加出資して銀行の延命を図るための議案がきょう、都議会本会議で成立の運びとなる◆見境なしに貸しまくる“銀行ごっこ”をしていた銀行が、審査能力の源泉である人員と店舗を縮小し、一段と“ごっこ”に近づく。延命し
て雨宿りをつづけたところで、空模様が好転するとも思えない◆知事や議員には任期がある。役人には異動や定年退職がある。何年か後に本降りを迎えたとき、責任ある立場の人々はすでに職を離れて涼しい顔をし、残された都民が後始末でずぶぬれになる…。正夢でなければいい。
(2008年3月28日02時08分 読売新聞)
古川柳に、「本降りになって出ていく雨宿り」という句がある。小降りのときに決断すればいいものを、本降りを待ってずぶぬれになった経験は昭和史にもある◆日本陸軍は天候ならぬ戦況が日に日に悪化するのを眺めつつも旧満州(いまの中国東北部)から撤兵しようとはせず、国をずぶぬれにした。
「そこで戦死した英霊に申し訳ない」という理由からである◆「これはじつは空念仏(そらねんぶつ)(=偽り)で、本当はその現地の将軍たちが全部メンツをなくすというだけのこと…」であったと、評論家の谷沢永一さんが著書「山本七平の智恵」(PHP文庫)に書いている◆経営難に陥った「新銀行東京」
もメンツを優先して撤兵を拒否する道を歩むらしい。都民の税金から400億円を追加出資して銀行の延命を図るための議案がきょう、都議会本会議で成立の運びとなる◆見境なしに貸しまくる“銀行ごっこ”をしていた銀行が、審査能力の源泉である人員と店舗を縮小し、一段と“ごっこ”に近づく。延命し
て雨宿りをつづけたところで、空模様が好転するとも思えない◆知事や議員には任期がある。役人には異動や定年退職がある。何年か後に本降りを迎えたとき、責任ある立場の人々はすでに職を離れて涼しい顔をし、残された都民が後始末でずぶぬれになる…。正夢でなければいい。
(2008年3月28日02時08分 読売新聞)
2008-03-28(Fri)
自給率 天声人語2008年03月28日(金曜日)付
天声人語
2008年03月28日(金曜日)付
熱いご飯に卵をのせ、しょうゆをたらす。簡単でうまい「卵かけご飯」だが米国に在勤中は食べなかった。生卵は危ないと聞いたからだ。帰任後、国産の卵を割って、味わったものだ▼おいしい日本の卵だが、実は、自給率は1割しかない。国内の鶏は飼料の9割を輸入に頼っている。輸入のエサを食
べたら、産んだ卵も「自給外」と色分けされる。赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い、赤い実を食べた……。童謡さながらに、卵は「輸入色」に染まってしまう▼同じ理屈で牛肉は11%、豚肉5%と、カロリーベースの自給率は驚くほど低い。農水省の試算によれば、飼料の輸入が止まると、卵は7日に1個しか
食べられないという。あまりの海外依存に、首筋は寒くなる▼「卵かけご飯」で卵を受ける米には、減反の嵐が吹く。米は余るばかりだ。去年は価格が暴落した。東北農政局は、作りすぎを「資源のムダづかい」と書いたポスターを作った。あまりの言い様だと、農家の怒りが渦をまいた▼米を作る側と、
食べる側の違いを、明治生まれの仏教思想家、鈴木大拙は〈食べる人は抽象的になり易(やす)く、作る人はいつも具体の事実に即して生きる〉と言った。米に限るまい。野菜も肉も、そしてギョーザも、食べる側は、生産の現場からは遠くなりがちだ▼ご飯と卵にも、さまざまな具体の事実がある。米は
今、種もみを浸す時期だ。鶏なら、春びなが売られるころか。生産と流通の終着駅に鎮座して、「食べる人」を決め込んでいればよかった時代では、もはやない。
2008年03月28日(金曜日)付
熱いご飯に卵をのせ、しょうゆをたらす。簡単でうまい「卵かけご飯」だが米国に在勤中は食べなかった。生卵は危ないと聞いたからだ。帰任後、国産の卵を割って、味わったものだ▼おいしい日本の卵だが、実は、自給率は1割しかない。国内の鶏は飼料の9割を輸入に頼っている。輸入のエサを食
べたら、産んだ卵も「自給外」と色分けされる。赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い、赤い実を食べた……。童謡さながらに、卵は「輸入色」に染まってしまう▼同じ理屈で牛肉は11%、豚肉5%と、カロリーベースの自給率は驚くほど低い。農水省の試算によれば、飼料の輸入が止まると、卵は7日に1個しか
食べられないという。あまりの海外依存に、首筋は寒くなる▼「卵かけご飯」で卵を受ける米には、減反の嵐が吹く。米は余るばかりだ。去年は価格が暴落した。東北農政局は、作りすぎを「資源のムダづかい」と書いたポスターを作った。あまりの言い様だと、農家の怒りが渦をまいた▼米を作る側と、
食べる側の違いを、明治生まれの仏教思想家、鈴木大拙は〈食べる人は抽象的になり易(やす)く、作る人はいつも具体の事実に即して生きる〉と言った。米に限るまい。野菜も肉も、そしてギョーザも、食べる側は、生産の現場からは遠くなりがちだ▼ご飯と卵にも、さまざまな具体の事実がある。米は
今、種もみを浸す時期だ。鶏なら、春びなが売られるころか。生産と流通の終着駅に鎮座して、「食べる人」を決め込んでいればよかった時代では、もはやない。
2008-03-28(Fri)
国際カエル年 余録
余録:国際カエル年
緑と黄色のカエルが互いの色が汚いとケンカした。だが寒くなったので「春になったら覚えてろ」と冬眠してしまう。やがて春が来て2匹は起き出し、池で泥を落としてから勝負しようときれいな春の水につかった▲お互いの姿を見ると目の覚めるような緑色と黄色だ。「やあ、君は美しい」。2匹は共に相
手をたたえ合ってケンカをやめた。この童話「二ひきの蛙(かえる)」の作者、新美南吉(にいみなんきち)はこう話を結んでいる。「よくねむったあとでは、人間でも蛙でも、きげんがよくなるものであります」▲機嫌よく目覚めたカエルらが、新しい生命のリレーを始めた春である。しかし3億6000万年以上も
続くカエルたちの営みはかつてない危機を迎えている。そこで今年は、国際自然保護連合などが両生類の保護を訴える国際カエル年になった▲約6000種のうち3分の1から半分が絶滅の恐れがあるという両生類だ。開発による生息地消滅、化学物質による汚染、温暖化などの気候変動、オゾンホ
ール拡大による紫外線量増加など原因を挙げれば地球環境問題のリストができる▲なかでも差し迫った脅威はすでに数十種のカエルを絶滅させたツボカビ症である。このため世界の動物園や水族館が連携し、絶滅に〓(ひん)した種を危険が薄れるまで飼育施設で保護するプロジェクトが進んでい
る。題して「両生類の箱舟計画」だ▲気持ちよい春の水で機嫌を直した童話のカエルのように、皮膚から水や空気を体内に補給する両生類は環境の変化にひときわ敏感という。地球上の生き物としての大先輩のピンチにはしっかり手を差し伸べ、その身をもって伝えてくれる警告には素直に耳を傾けたい。
毎日新聞 2008年3月28日 0時00分
緑と黄色のカエルが互いの色が汚いとケンカした。だが寒くなったので「春になったら覚えてろ」と冬眠してしまう。やがて春が来て2匹は起き出し、池で泥を落としてから勝負しようときれいな春の水につかった▲お互いの姿を見ると目の覚めるような緑色と黄色だ。「やあ、君は美しい」。2匹は共に相
手をたたえ合ってケンカをやめた。この童話「二ひきの蛙(かえる)」の作者、新美南吉(にいみなんきち)はこう話を結んでいる。「よくねむったあとでは、人間でも蛙でも、きげんがよくなるものであります」▲機嫌よく目覚めたカエルらが、新しい生命のリレーを始めた春である。しかし3億6000万年以上も
続くカエルたちの営みはかつてない危機を迎えている。そこで今年は、国際自然保護連合などが両生類の保護を訴える国際カエル年になった▲約6000種のうち3分の1から半分が絶滅の恐れがあるという両生類だ。開発による生息地消滅、化学物質による汚染、温暖化などの気候変動、オゾンホ
ール拡大による紫外線量増加など原因を挙げれば地球環境問題のリストができる▲なかでも差し迫った脅威はすでに数十種のカエルを絶滅させたツボカビ症である。このため世界の動物園や水族館が連携し、絶滅に〓(ひん)した種を危険が薄れるまで飼育施設で保護するプロジェクトが進んでい
る。題して「両生類の箱舟計画」だ▲気持ちよい春の水で機嫌を直した童話のカエルのように、皮膚から水や空気を体内に補給する両生類は環境の変化にひときわ敏感という。地球上の生き物としての大先輩のピンチにはしっかり手を差し伸べ、その身をもって伝えてくれる警告には素直に耳を傾けたい。
毎日新聞 2008年3月28日 0時00分
2008-03-28(Fri)
花養い 春秋(3/28)
春秋(3/28)
花の盛りを目前に、空を覆う雲と地をぬらす雨が、浮き立つ心を少し落ち着かせる。大抵、3月の末から4月の初めにかけて、サクラの開花期に、列島には雲がかかり小雨も降る。花曇りと花雨。憎らしいお天気だけど、花は陰りと湿りを得て、存在感を増す。
▼花曇りは養花天(ようかてん)、花雨は養花雨(ようかう)とも呼ばれる。ぐずついた空模様が、実は満開に向けて花の生命力を養っている、というほどの意味だろう。養という字には風雨という意味もあるが、無情に花を散らすだけの嵐というより、絢爛(けんらん)の宴(うたげ)まで花の勢いをためておく、天の粋な配慮と解釈したい。
▼人の世のねじれた国会のぐずつきも、うまく機能すれば、花を養う好結果を生むのかもしれない。何事もすんなりと予定調和では運ばない分、与野党間の実質的な議論や協議を深め、妥協のルールを生む可能性もある。しかし現実は、法案も人事もつぼみのまま、開花せずに朽ち果てる危機にいま直面している。
▼昨日、年度末ぎりぎりに福田康夫首相は新提案に踏み切った。暫定税率の廃止がはっきりしないので、小沢一郎民主党代表がそっくりのむとは考えにくい。衆院での再議決への条件づくり、という見方もあるが、これが花養いの最後のチャンスだろう。それにしても福田、小沢ご両人の対決、見事なほど華がない。
花の盛りを目前に、空を覆う雲と地をぬらす雨が、浮き立つ心を少し落ち着かせる。大抵、3月の末から4月の初めにかけて、サクラの開花期に、列島には雲がかかり小雨も降る。花曇りと花雨。憎らしいお天気だけど、花は陰りと湿りを得て、存在感を増す。
▼花曇りは養花天(ようかてん)、花雨は養花雨(ようかう)とも呼ばれる。ぐずついた空模様が、実は満開に向けて花の生命力を養っている、というほどの意味だろう。養という字には風雨という意味もあるが、無情に花を散らすだけの嵐というより、絢爛(けんらん)の宴(うたげ)まで花の勢いをためておく、天の粋な配慮と解釈したい。
▼人の世のねじれた国会のぐずつきも、うまく機能すれば、花を養う好結果を生むのかもしれない。何事もすんなりと予定調和では運ばない分、与野党間の実質的な議論や協議を深め、妥協のルールを生む可能性もある。しかし現実は、法案も人事もつぼみのまま、開花せずに朽ち果てる危機にいま直面している。
▼昨日、年度末ぎりぎりに福田康夫首相は新提案に踏み切った。暫定税率の廃止がはっきりしないので、小沢一郎民主党代表がそっくりのむとは考えにくい。衆院での再議決への条件づくり、という見方もあるが、これが花養いの最後のチャンスだろう。それにしても福田、小沢ご両人の対決、見事なほど華がない。
2008-03-28(Fri)
失敗 卓上四季(3月28日)
卓上四季
失敗(3月28日)
子供のころ通った小学校や近所の公園を久しぶりに訪れて、驚いたことはないだろうか。すごく大きいと思っていたけれど、実はこんなに小さかったんだな▼小学生のころ、世界は狭かった。家と学校と、せいぜいその周辺か。やがて、似たような建物や公園はいくらでもあると知る。世界はもっと遠くまで
広がっていることを知る。小さい時の記憶と比べることで、自分の心に物差しができる▼友とけんかしたこと、親や教師にしかられたこと、誰かにふられたこと。最初は衝撃だ。だが人生は繰り返しだから、たまにはあるさ、とわかってくる。痛みの強さを予測でき、耐えられるようになる▼そんなふうに、こ
の失敗も通り過ぎてほしかった。東京の小六男児が「死んでおわびをします」と書き残して十四階の自宅から飛び降りた。卒業式のよびかけで「大好きな学校」というところを「大嫌いな学校」と言ってしまったという▼大人はたいてい失敗をたくさん経験している。だから少しくらいめげても、いずれ立ち直
れる。幼く傷つきやすい魂は、それが小さな失敗だと気づかない。深刻だったのだろう▼ほかにも悩んでいる子がいるだろうか。聞いてほしい。きみの人生に、死んでおわびするほどの失敗は、まず絶対に起きない。もし「死んでわびろ」と言う人がいたら、それはいじめだ。決して本気にしてはいけない。本当だよ。
失敗(3月28日)
子供のころ通った小学校や近所の公園を久しぶりに訪れて、驚いたことはないだろうか。すごく大きいと思っていたけれど、実はこんなに小さかったんだな▼小学生のころ、世界は狭かった。家と学校と、せいぜいその周辺か。やがて、似たような建物や公園はいくらでもあると知る。世界はもっと遠くまで
広がっていることを知る。小さい時の記憶と比べることで、自分の心に物差しができる▼友とけんかしたこと、親や教師にしかられたこと、誰かにふられたこと。最初は衝撃だ。だが人生は繰り返しだから、たまにはあるさ、とわかってくる。痛みの強さを予測でき、耐えられるようになる▼そんなふうに、こ
の失敗も通り過ぎてほしかった。東京の小六男児が「死んでおわびをします」と書き残して十四階の自宅から飛び降りた。卒業式のよびかけで「大好きな学校」というところを「大嫌いな学校」と言ってしまったという▼大人はたいてい失敗をたくさん経験している。だから少しくらいめげても、いずれ立ち直
れる。幼く傷つきやすい魂は、それが小さな失敗だと気づかない。深刻だったのだろう▼ほかにも悩んでいる子がいるだろうか。聞いてほしい。きみの人生に、死んでおわびするほどの失敗は、まず絶対に起きない。もし「死んでわびろ」と言う人がいたら、それはいじめだ。決して本気にしてはいけない。本当だよ。
2008-03-27(Thu)
死んでおわびなんてしなくていい 編集手帳3月27日付
3月27日付 編集手帳
黒柳徹子さんが若き日の失敗談を著書に書いている。劇団の先輩にあたる女性の結婚披露宴に招かれた思い出である。新郎が同じ教会に通う顔見知りであることを、会場に来て知った◆祝辞を述べる際、新郎とも人知れぬ縁があることを大人びた表現で伝えることに苦心したという。「私と新郎は内
縁関係でございます」。会場がシーンとしたと、新潮文庫「トットチャンネル」にある◆言葉をめぐる苦い記憶は誰にもある。ある財界人を取材で訪ねた折、応接室で長く待たされた。ようやく現れた相手に、うっかり、「お待たせしました」と言ってしまい、あとで頭を抱えた覚えがある◆東京都板橋区で卒業式
を終えたばかりの小学6年生の男児(12)が自宅マンションから飛び降り、死亡した。式で卒業生が一人ずつ、事前に決められた「門出のことば」を披露した際、男児は「大好きな学校」と言うべきところを「大嫌いな…」に換えて話した◆わけを尋ねた校長に、「緊張して間違えた」と男児は答えている。
自宅には家族にあてて、「死んでおわびします」という内容の遺書があった◆人は皆、顔から火の出るような失敗をまき散らし、それを笑い話に変えながら生きていく。言い間違いでも言い換えでも、死んでおわびなんてしなくていい。そう告げたくても、君はもういない。
(2008年3月27日01時37分 読売新聞)
黒柳徹子さんが若き日の失敗談を著書に書いている。劇団の先輩にあたる女性の結婚披露宴に招かれた思い出である。新郎が同じ教会に通う顔見知りであることを、会場に来て知った◆祝辞を述べる際、新郎とも人知れぬ縁があることを大人びた表現で伝えることに苦心したという。「私と新郎は内
縁関係でございます」。会場がシーンとしたと、新潮文庫「トットチャンネル」にある◆言葉をめぐる苦い記憶は誰にもある。ある財界人を取材で訪ねた折、応接室で長く待たされた。ようやく現れた相手に、うっかり、「お待たせしました」と言ってしまい、あとで頭を抱えた覚えがある◆東京都板橋区で卒業式
を終えたばかりの小学6年生の男児(12)が自宅マンションから飛び降り、死亡した。式で卒業生が一人ずつ、事前に決められた「門出のことば」を披露した際、男児は「大好きな学校」と言うべきところを「大嫌いな…」に換えて話した◆わけを尋ねた校長に、「緊張して間違えた」と男児は答えている。
自宅には家族にあてて、「死んでおわびします」という内容の遺書があった◆人は皆、顔から火の出るような失敗をまき散らし、それを笑い話に変えながら生きていく。言い間違いでも言い換えでも、死んでおわびなんてしなくていい。そう告げたくても、君はもういない。
(2008年3月27日01時37分 読売新聞)
2008-03-27(Thu)
最後の授業 天声人語2008年03月27日(木曜日)付
天声人語
2008年03月27日(木曜日)付
桜前線が、ヒバリの初鳴きが、南から北へ春をつなぐ。命のリレーを見る季節に、命をめぐる言葉が聞こえてくる。厳しい病と向き合う先生から、卒業生へのはなむけである▼大阪府吹田市の元教育長、延地(のべち)和子さん(62)が「最後の授業」をした、と小紙の大阪本社版が伝えている。かつ
て校長を務めた中学の3年生に語ったのは、荒れる生徒を相手に体を張った思い出、若くして先立った一人娘への愛惜、病身を支えてくれる人々のぬくもり▼副腎皮質のがんが広がり、残された時間は多くない。「私の命がなくなったとき、聞いてくれた人の胸に灯(ともしび)が残れば、私は第二の人
生を生きられる」。目を真っ赤にした生徒が、まっすぐに先生を見ていた▼再発した乳がんと闘う大分県の山田泉さん(49)は、昨春に退職するまで共に過ごした中学3年生を家に招いた。学年全員で9人。「このメンバーで会うのは最後かもね」と言い、「いのちの授業」の総仕上げを始めた▼この1年、
各地の学校に招かれて出前授業を続けた。行く先々で、がんを病む子らと出会い、語り合ったことを、9人に話した。「隣のベッドの子と仲良くなっても、突然別れがくる。そういう体験ときつい治療を乗り越えて、1秒1秒を大事に生きるあの子たちから、私は勇気をもらった」▼漱石の『草枕』に、空に鳴き上
がる春のヒバリが描かれている。昇りつめて姿が雲に消えても、声は空に残っている、と。2人の先生の声もきっと、巣立つ生徒の胸に、響きながら残ることだろう。
2008年03月27日(木曜日)付
桜前線が、ヒバリの初鳴きが、南から北へ春をつなぐ。命のリレーを見る季節に、命をめぐる言葉が聞こえてくる。厳しい病と向き合う先生から、卒業生へのはなむけである▼大阪府吹田市の元教育長、延地(のべち)和子さん(62)が「最後の授業」をした、と小紙の大阪本社版が伝えている。かつ
て校長を務めた中学の3年生に語ったのは、荒れる生徒を相手に体を張った思い出、若くして先立った一人娘への愛惜、病身を支えてくれる人々のぬくもり▼副腎皮質のがんが広がり、残された時間は多くない。「私の命がなくなったとき、聞いてくれた人の胸に灯(ともしび)が残れば、私は第二の人
生を生きられる」。目を真っ赤にした生徒が、まっすぐに先生を見ていた▼再発した乳がんと闘う大分県の山田泉さん(49)は、昨春に退職するまで共に過ごした中学3年生を家に招いた。学年全員で9人。「このメンバーで会うのは最後かもね」と言い、「いのちの授業」の総仕上げを始めた▼この1年、
各地の学校に招かれて出前授業を続けた。行く先々で、がんを病む子らと出会い、語り合ったことを、9人に話した。「隣のベッドの子と仲良くなっても、突然別れがくる。そういう体験ときつい治療を乗り越えて、1秒1秒を大事に生きるあの子たちから、私は勇気をもらった」▼漱石の『草枕』に、空に鳴き上
がる春のヒバリが描かれている。昇りつめて姿が雲に消えても、声は空に残っている、と。2人の先生の声もきっと、巣立つ生徒の胸に、響きながら残ることだろう。
2008-03-27(Thu)
産科医療 余録
余録:産科医療
電車で前の席の若い女性がカバーを裏返した大きな本を開いている。「やがて/彼女はまどろみ/手から離れた本は/開かれたまま、膝(ひざ)の上。/さかさに見える絵は/出産育児の手引。」−−吉野弘さんの詩「白い表紙」だ▲「母親になる準備を/彼女に急がせているのは/おなかの中の
小さな命令−−愛らしい威嚇(いかく)/彼女は、その声に従う。/声の望みを理解するための知識をむさぼる。/おそらく/それまでのどんな試験のときよりも/真摯(しんし)な集中。」▲詩はこう結ばれる。「疲れているらしく/彼女はまどろみ/膝の上に開かれた本は/時折、風にめくられている。」
−−だが今、おなかの赤ちゃんの声に耳を澄まし、お母さんになる準備に懸命な女性の多くが、おちおちまどろんでもいられない不安に悩むことになってしまった▲産婦人科医不足で「お産難民」などという困った言葉がささやかれる昨今だ。厚生労働省の調査では分娩(ぶんべん)を休止したり、里帰り
出産などを制限する施設が全国77カ所にのぼる。うち3施設では分娩休止後の対策も立てられない有り様という▲また日本産科婦人科学会の調査では33道府県の111施設が産科医の緊急派遣を求めている。「対応できそうにない数で、地域産科医療の維持は極めて困難な状況」とは同学会の分
析である。母親が安心して赤ちゃんを産めるという人間社会の基本中の基本条件の底が抜けそうなのだ▲子供はこの世の未来を携えて生まれてくる。産科医療を再建し、赤ちゃんを手厚い祝福と共に迎えることのできないような世の未来は暗い。小さな命令、愛らしい威嚇に耳を澄まさねばならないのは母親ばかりではない。
毎日新聞 2008年3月27日 0時13分
電車で前の席の若い女性がカバーを裏返した大きな本を開いている。「やがて/彼女はまどろみ/手から離れた本は/開かれたまま、膝(ひざ)の上。/さかさに見える絵は/出産育児の手引。」−−吉野弘さんの詩「白い表紙」だ▲「母親になる準備を/彼女に急がせているのは/おなかの中の
小さな命令−−愛らしい威嚇(いかく)/彼女は、その声に従う。/声の望みを理解するための知識をむさぼる。/おそらく/それまでのどんな試験のときよりも/真摯(しんし)な集中。」▲詩はこう結ばれる。「疲れているらしく/彼女はまどろみ/膝の上に開かれた本は/時折、風にめくられている。」
−−だが今、おなかの赤ちゃんの声に耳を澄まし、お母さんになる準備に懸命な女性の多くが、おちおちまどろんでもいられない不安に悩むことになってしまった▲産婦人科医不足で「お産難民」などという困った言葉がささやかれる昨今だ。厚生労働省の調査では分娩(ぶんべん)を休止したり、里帰り
出産などを制限する施設が全国77カ所にのぼる。うち3施設では分娩休止後の対策も立てられない有り様という▲また日本産科婦人科学会の調査では33道府県の111施設が産科医の緊急派遣を求めている。「対応できそうにない数で、地域産科医療の維持は極めて困難な状況」とは同学会の分
析である。母親が安心して赤ちゃんを産めるという人間社会の基本中の基本条件の底が抜けそうなのだ▲子供はこの世の未来を携えて生まれてくる。産科医療を再建し、赤ちゃんを手厚い祝福と共に迎えることのできないような世の未来は暗い。小さな命令、愛らしい威嚇に耳を澄まさねばならないのは母親ばかりではない。
毎日新聞 2008年3月27日 0時13分
2008-03-27(Thu)
マサカの時 春秋(3/27)
春秋(3/27)
「福翁自伝」の連載を福沢諭吉が時事新報で始めたのは110年前のことだ。中で、世に処するの法を一括して手短に申せば、と断って「すべて事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽(ろうばい)せぬように後悔せぬようにとばかり考えています」と書いている。
▼そして半年前、「人生には上り坂もあれば、下り坂もある。もうひとつはマサカという坂だ」と言ったのが小泉純一郎元首相。そのマサカの時に覚悟を定め、今の地位を得たのが福田康夫首相である。ところが、次々起こるマサカに直面するうちに覚悟はすっかり色あせ、狼狽が取って代わったように見えてきた。
▼日銀総裁空席も、期限切れが刻一刻近づくガソリン税の暫定税率の問題も、福田さんにとってマサカには違いなかろう。民主党の対応にいらだちを募らせ「正直言ってわけがわからない」と口にもしたそうだ。しかし、なぜそんな言葉が出てくるだろう。正直言ってそのわけがわからない。
▼まるで抽象画や現代音楽に首をひねっているようにも聞こえるが、あなたは一国の宰相にして政権党の党首だ。政治の世界でどんな難問が持ち上がろうとも、わけがわからないなどと口走られては困る。政治は言葉である、とはよくいわれる。当然「それを言っちゃあオシマイよ」という禁句だってあるのである。
「福翁自伝」の連載を福沢諭吉が時事新報で始めたのは110年前のことだ。中で、世に処するの法を一括して手短に申せば、と断って「すべて事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽(ろうばい)せぬように後悔せぬようにとばかり考えています」と書いている。
▼そして半年前、「人生には上り坂もあれば、下り坂もある。もうひとつはマサカという坂だ」と言ったのが小泉純一郎元首相。そのマサカの時に覚悟を定め、今の地位を得たのが福田康夫首相である。ところが、次々起こるマサカに直面するうちに覚悟はすっかり色あせ、狼狽が取って代わったように見えてきた。
▼日銀総裁空席も、期限切れが刻一刻近づくガソリン税の暫定税率の問題も、福田さんにとってマサカには違いなかろう。民主党の対応にいらだちを募らせ「正直言ってわけがわからない」と口にもしたそうだ。しかし、なぜそんな言葉が出てくるだろう。正直言ってそのわけがわからない。
▼まるで抽象画や現代音楽に首をひねっているようにも聞こえるが、あなたは一国の宰相にして政権党の党首だ。政治の世界でどんな難問が持ち上がろうとも、わけがわからないなどと口走られては困る。政治は言葉である、とはよくいわれる。当然「それを言っちゃあオシマイよ」という禁句だってあるのである。
2008-03-27(Thu)
ペット 卓上四季(3月27日)
卓上四季
ペット(3月27日)
野良猫がいつの間にか家にすみついた。ノラと名付けた。ある年の三月二十七日、庭の茂みを抜け出し、そのまま姿を消した▼小説家・内田百◆(ひゃっけん)の体験だ。もう会えないのかと思うと涙が止まらない。風が吹いても雨だれが落ちても、猫ではないかと気になる。「ノラやノラや、お前はもう帰
ってこないのか」。野良猫も、一緒にいる間に家族になった▼愛するペットを手放すか、住み慣れた家を立ち退くか。三笠の市営住宅で、犬や猫を飼う住人が迫られている。今月末が期限だ。知人に引き取ってもらうことになったものの「一家で一晩泣いた」という人もいる▼もともとペット飼育は禁止だが、
黙認されてきた。千八百世帯のうち二百世帯で飼った。中には猫を何十匹も放し飼いにするなど常識外の人もいた。ほかの住民から苦情が出る。三年の猶予の後、禁止を徹底することになった▼期限が来ても身動きが取れない人がいる。家賃が高い家に移れない。老いた犬猫は引き取り先がない。
離れ難さもあり、なお百世帯ほどで飼っている。犬猫の寿命を考えれば、三年の猶予では短すぎた。この事態を市は予測できたはずだ▼既に、悲しみをこらえて手放した人がいる。いま禁止を緩めれば不公平になることはわかる。だが一部の非常識な人と一般の飼い主を同じに扱うのも乱暴ではないか。知恵はないものか。悲しい春に、胸が痛む。
(注)◆は「門がまえ」に「月」
ペット(3月27日)
野良猫がいつの間にか家にすみついた。ノラと名付けた。ある年の三月二十七日、庭の茂みを抜け出し、そのまま姿を消した▼小説家・内田百◆(ひゃっけん)の体験だ。もう会えないのかと思うと涙が止まらない。風が吹いても雨だれが落ちても、猫ではないかと気になる。「ノラやノラや、お前はもう帰
ってこないのか」。野良猫も、一緒にいる間に家族になった▼愛するペットを手放すか、住み慣れた家を立ち退くか。三笠の市営住宅で、犬や猫を飼う住人が迫られている。今月末が期限だ。知人に引き取ってもらうことになったものの「一家で一晩泣いた」という人もいる▼もともとペット飼育は禁止だが、
黙認されてきた。千八百世帯のうち二百世帯で飼った。中には猫を何十匹も放し飼いにするなど常識外の人もいた。ほかの住民から苦情が出る。三年の猶予の後、禁止を徹底することになった▼期限が来ても身動きが取れない人がいる。家賃が高い家に移れない。老いた犬猫は引き取り先がない。
離れ難さもあり、なお百世帯ほどで飼っている。犬猫の寿命を考えれば、三年の猶予では短すぎた。この事態を市は予測できたはずだ▼既に、悲しみをこらえて手放した人がいる。いま禁止を緩めれば不公平になることはわかる。だが一部の非常識な人と一般の飼い主を同じに扱うのも乱暴ではないか。知恵はないものか。悲しい春に、胸が痛む。
(注)◆は「門がまえ」に「月」
2008-03-26(Wed)
笑い測定機 編集手帳3月26日付
3月26日付 編集手帳
写真のなかで、10歳くらいの子供が笑っている。いや、笑っていない。その証拠には、両方のこぶしを握っている。「人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものではないのである」◆太宰治「人間失格」の一節である。愛想笑い、つくり笑いに満ちた大人の世界では、胸中にこぶしを握りしめて笑うこ
とは、そうめずらしくない。「目だけは笑っていない」上司はどこの会社にもいる◆その不思議な機械は愛想笑いやつくり笑いには反応せず、心の底からおかしい本物の笑いだけを感知するという。関西大学の木村洋二教授(60)が“笑い測定機”を開発した◆横隔膜の周辺に取り付けた感知器を通し
て、笑うときに筋肉が動いて生じる電位を測定する仕組みだそうで、笑いの計測単位を木村教授はアッハ(=aH)と名づけている◆身を顧みれば、腹の皮がよじれるほど大笑いした記憶は遠く、苦笑いと含み笑いの日々である。きっと数値は低いだろう。メタボがどうのと胴回りを意識し、アッハはいかにと
横隔膜に気を配り、わが腹部もなかなか世話が焼ける◆快活に高笑いをしながら目だけは笑わない上司に、測定機を付けてみたい方もあろう。「部長、ゼロaHですよ。ヨッ、人間失格!」とでも口走れば、それこそ笑えぬ結果になるのは見えているから、ま、やめておくに限る。
(2008年3月26日01時45分 読売新聞)
写真のなかで、10歳くらいの子供が笑っている。いや、笑っていない。その証拠には、両方のこぶしを握っている。「人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものではないのである」◆太宰治「人間失格」の一節である。愛想笑い、つくり笑いに満ちた大人の世界では、胸中にこぶしを握りしめて笑うこ
とは、そうめずらしくない。「目だけは笑っていない」上司はどこの会社にもいる◆その不思議な機械は愛想笑いやつくり笑いには反応せず、心の底からおかしい本物の笑いだけを感知するという。関西大学の木村洋二教授(60)が“笑い測定機”を開発した◆横隔膜の周辺に取り付けた感知器を通し
て、笑うときに筋肉が動いて生じる電位を測定する仕組みだそうで、笑いの計測単位を木村教授はアッハ(=aH)と名づけている◆身を顧みれば、腹の皮がよじれるほど大笑いした記憶は遠く、苦笑いと含み笑いの日々である。きっと数値は低いだろう。メタボがどうのと胴回りを意識し、アッハはいかにと
横隔膜に気を配り、わが腹部もなかなか世話が焼ける◆快活に高笑いをしながら目だけは笑わない上司に、測定機を付けてみたい方もあろう。「部長、ゼロaHですよ。ヨッ、人間失格!」とでも口走れば、それこそ笑えぬ結果になるのは見えているから、ま、やめておくに限る。
(2008年3月26日01時45分 読売新聞)
2008-03-26(Wed)
パンドラの箱 天声人語2008年03月26日(水曜日)付
天声人語
2008年03月26日(水曜日)付
真偽に両論あるようだが、中国の万里の長城は宇宙から肉眼でも見えるそうだ。世界最長の建造物は約2400キロにわたって連なる。かの地に興った国々は長い間、外敵の侵入に神経をとがらせてきた▼その57倍におよぶ13万7000キロの旅路に、中国政府が神経をとがらせている。世界と自
国を巡る北京五輪の聖火リレーである。長城の国らしく五輪史上最長という。だがチベット問題にからむ抗議活動や妨害が、どこで起きるかわからない▼序幕から波乱があった。おととい、ギリシャでの採火式に白人の男性らが乱入し、五輪マークを手錠のように描いた黒い旗をかざした。国際的なNG
O「国境なき記者団」のメンバーで、「聖火より人権を」と訴えた▼いまのチベットは、秘境時代のように世界から遠い。中国政府は外国のメディアを閉め出し、万里の長城さながらの情報統制を続けている。全体像は見えず、どれだけの犠牲者がいるのかも、はっきりしない▼五輪を生んだギリシャの神
話で、火を人間に与えたのはプロメテウスだった。その名には「先に考える男」の意味がある。その弟にエピメテウス(後で考える男)がいた。弟が、無思慮に妻に迎えたのがパンドラである。妻は禍(わざわい)の箱を開けて、不幸を世界にまき散らした▼収拾に向けてダライ・ラマ14世との対話を開く。
それが世界を和らげ、五輪を成功させる「先知恵」ではないだろうか。五輪が終わるまでは、と門を閉ざして真相を覆い続けるなら、祭典はあやうい「パンドラの箱」になりかねない。
2008年03月26日(水曜日)付
真偽に両論あるようだが、中国の万里の長城は宇宙から肉眼でも見えるそうだ。世界最長の建造物は約2400キロにわたって連なる。かの地に興った国々は長い間、外敵の侵入に神経をとがらせてきた▼その57倍におよぶ13万7000キロの旅路に、中国政府が神経をとがらせている。世界と自
国を巡る北京五輪の聖火リレーである。長城の国らしく五輪史上最長という。だがチベット問題にからむ抗議活動や妨害が、どこで起きるかわからない▼序幕から波乱があった。おととい、ギリシャでの採火式に白人の男性らが乱入し、五輪マークを手錠のように描いた黒い旗をかざした。国際的なNG
O「国境なき記者団」のメンバーで、「聖火より人権を」と訴えた▼いまのチベットは、秘境時代のように世界から遠い。中国政府は外国のメディアを閉め出し、万里の長城さながらの情報統制を続けている。全体像は見えず、どれだけの犠牲者がいるのかも、はっきりしない▼五輪を生んだギリシャの神
話で、火を人間に与えたのはプロメテウスだった。その名には「先に考える男」の意味がある。その弟にエピメテウス(後で考える男)がいた。弟が、無思慮に妻に迎えたのがパンドラである。妻は禍(わざわい)の箱を開けて、不幸を世界にまき散らした▼収拾に向けてダライ・ラマ14世との対話を開く。
それが世界を和らげ、五輪を成功させる「先知恵」ではないだろうか。五輪が終わるまでは、と門を閉ざして真相を覆い続けるなら、祭典はあやうい「パンドラの箱」になりかねない。
2008-03-26(Wed)
ガソリン政局 余録
余録:ガソリン政局
ガスになる揮発性の油だからガソリン(gasoline)という。常温で気化し、そのガスが空気の1〜7%になって引火すると爆発を起こす。おかげでエンジンを動かせるのだが、その理想的な混合気は質量比で空気14.7対ガソリン1である▲この引火しやすく取り扱い注意の燃料名を冠された「ガソリン政
局」である。租税特別措置法改正案に盛り込まれたガソリン税などの暫定税率の期限切れまで6日。与野党の対立の打開の見通しは暗く、引火性ガスの濃度は高まるばかりだ▲このまま期限切れを迎えれば、確かにガソリンの小売価格が1リットル当たり25円下がる。最近の原油高による燃料高騰に
苦しんできた人々のなかには喜ぶ方も多いだろう。ただ移行期の混乱は避けられず、まして再値上げとなる場合にはそれに輪をかけたような騒ぎとなるに違いない▲税収を失い歳入欠陥が生じる地方自治体は深刻である。またガソリン税以外の暫定税率失効では増税になるものもある。土地取引にか
かわる税の軽減や海外の資金運用をめぐる非課税措置がなくなるケースでは、市場への影響も心配である▲引火性ガスに火がつくように何が起こるか分からぬ4月以降だ。奇妙なのは政府与党も野党もこの事態の責任を深刻に考えている様子がないことだ。まるで国民生活が混乱すれば、相手に責
任を押しつけるチャンスと思っているかのようだ▲税制という国と国民の基本契約を成り行きで決めては政治ではない。ねじれ国会は政治の責任の空洞化を招いてはいないか。ここは引火性ガスをもてあそぶかけひきはひかえ、道路行財政の抜本改革へ最適の政策混合比を探ることだ。
毎日新聞 2008年3月26日 0時04分
ガスになる揮発性の油だからガソリン(gasoline)という。常温で気化し、そのガスが空気の1〜7%になって引火すると爆発を起こす。おかげでエンジンを動かせるのだが、その理想的な混合気は質量比で空気14.7対ガソリン1である▲この引火しやすく取り扱い注意の燃料名を冠された「ガソリン政
局」である。租税特別措置法改正案に盛り込まれたガソリン税などの暫定税率の期限切れまで6日。与野党の対立の打開の見通しは暗く、引火性ガスの濃度は高まるばかりだ▲このまま期限切れを迎えれば、確かにガソリンの小売価格が1リットル当たり25円下がる。最近の原油高による燃料高騰に
苦しんできた人々のなかには喜ぶ方も多いだろう。ただ移行期の混乱は避けられず、まして再値上げとなる場合にはそれに輪をかけたような騒ぎとなるに違いない▲税収を失い歳入欠陥が生じる地方自治体は深刻である。またガソリン税以外の暫定税率失効では増税になるものもある。土地取引にか
かわる税の軽減や海外の資金運用をめぐる非課税措置がなくなるケースでは、市場への影響も心配である▲引火性ガスに火がつくように何が起こるか分からぬ4月以降だ。奇妙なのは政府与党も野党もこの事態の責任を深刻に考えている様子がないことだ。まるで国民生活が混乱すれば、相手に責
任を押しつけるチャンスと思っているかのようだ▲税制という国と国民の基本契約を成り行きで決めては政治ではない。ねじれ国会は政治の責任の空洞化を招いてはいないか。ここは引火性ガスをもてあそぶかけひきはひかえ、道路行財政の抜本改革へ最適の政策混合比を探ることだ。
毎日新聞 2008年3月26日 0時04分
2008-03-26(Wed)
日本人メジャーリーガー 春秋(3/26)
春秋(3/26)
「はいスポーツです」。ニュースキャスターの筑紫哲也さんは、それまでどんな深刻な話をしていても、スポーツコーナーに移る時には破顔一笑した。ワシントンの研究機関の一室。元米国防総省高官の表情がそれに似た変化を見せた。
▼「ダイスケは奥さんの出産と重なれば日本での開幕戦に行けなかったんだけど、赤ちゃんが生まれ、行けてよかった」と突然、松坂大輔投手の話を始めた。聞けばボストン出身。松坂投手の技量をほめながら、好調と不調の「波」を心配し「オカジマもいい」と、中継ぎの岡島秀樹投手の安定性を解説してくれた。
▼米国の首都で日本人メジャーリーガーが話題になるのは、野茂英雄投手以来の選手たちの活躍に加え、加藤良三大使の野球好きも理由らしい。始球式の体験もある加藤氏の在任期間は、もうすぐ6年半になる。戦後日本の駐米大使では最長記録だ。5月の連休に訪れる閣僚や国会議員を迎え、見送って任を終える。
▼松坂投手の投球内容と同じく、日米関係も、基本的には良好だが、悪いときもある。第1期ブッシュ政権下では、小泉・ブッシュ関係もあり、史上最良とされた。が、昨年1月に米側が北朝鮮政策を転換してからは、どうもしっくりこない。岡島投手よろしく、日米関係の波を鎮める救援役が加藤氏の仕事だった。
「はいスポーツです」。ニュースキャスターの筑紫哲也さんは、それまでどんな深刻な話をしていても、スポーツコーナーに移る時には破顔一笑した。ワシントンの研究機関の一室。元米国防総省高官の表情がそれに似た変化を見せた。
▼「ダイスケは奥さんの出産と重なれば日本での開幕戦に行けなかったんだけど、赤ちゃんが生まれ、行けてよかった」と突然、松坂大輔投手の話を始めた。聞けばボストン出身。松坂投手の技量をほめながら、好調と不調の「波」を心配し「オカジマもいい」と、中継ぎの岡島秀樹投手の安定性を解説してくれた。
▼米国の首都で日本人メジャーリーガーが話題になるのは、野茂英雄投手以来の選手たちの活躍に加え、加藤良三大使の野球好きも理由らしい。始球式の体験もある加藤氏の在任期間は、もうすぐ6年半になる。戦後日本の駐米大使では最長記録だ。5月の連休に訪れる閣僚や国会議員を迎え、見送って任を終える。
▼松坂投手の投球内容と同じく、日米関係も、基本的には良好だが、悪いときもある。第1期ブッシュ政権下では、小泉・ブッシュ関係もあり、史上最良とされた。が、昨年1月に米側が北朝鮮政策を転換してからは、どうもしっくりこない。岡島投手よろしく、日米関係の波を鎮める救援役が加藤氏の仕事だった。
2008-03-26(Wed)
鯨の海 卓上四季(3月26日)
卓上四季
鯨の海(3月26日)
母子の鯨が、ゆったりと並んで泳ぐ。潮を噴き上げる音が、時々ブワっと聞こえてくる。少し離れて、雄らしい鯨が寄り添っている▼沖縄・慶良間(けらま)諸島の海でザトウクジラを見た。冬の間、暖かいこの海で子育てをする。母子は浮かぶのも潜るのも一緒だ。雄は水中でラブソングを歌うという。歌の節
は一シーズン同じで、翌年は新曲になるそうだ。不思議なものである▼この海一面に、米軍の艦艇が集結したことがある。艦砲射撃や地上戦で島々を占領した。沖縄戦が始まった一九四五年三月二十六日のことだ。沖縄本島への上陸に先立ち、前線基地と停泊地を確保した▼占領された島のひとつ
座間味(ざまみ)を訪れた。ダイビング客でにぎわっている。港近くに「平和の塔」があった。この戦いで亡くなった人々の名が刻まれている。フミ、トミ、よし子…女性が多い。住民の犠牲が多い証しだ。北海道出身の兵士十二人の名も並んでいた▼この島でも、悲惨な「集団自決」(強制集団死)があっ
た。米軍の捕虜になれば暴行されて殺される、と住民は教えられていた。それなら自分で死ぬ方がまし、と家族や知人が互いに殺し合った。沖縄戦は六月まで続く。日本側十八万八千人、米国側一万二千人の死者が出た▼海を望む丘に登った。双眼鏡をのぞく。鯨が噴き上げる潮が見える。風の音と野鳥のさえずり以外は何も聞こえない。静かな海だ。
鯨の海(3月26日)
母子の鯨が、ゆったりと並んで泳ぐ。潮を噴き上げる音が、時々ブワっと聞こえてくる。少し離れて、雄らしい鯨が寄り添っている▼沖縄・慶良間(けらま)諸島の海でザトウクジラを見た。冬の間、暖かいこの海で子育てをする。母子は浮かぶのも潜るのも一緒だ。雄は水中でラブソングを歌うという。歌の節
は一シーズン同じで、翌年は新曲になるそうだ。不思議なものである▼この海一面に、米軍の艦艇が集結したことがある。艦砲射撃や地上戦で島々を占領した。沖縄戦が始まった一九四五年三月二十六日のことだ。沖縄本島への上陸に先立ち、前線基地と停泊地を確保した▼占領された島のひとつ
座間味(ざまみ)を訪れた。ダイビング客でにぎわっている。港近くに「平和の塔」があった。この戦いで亡くなった人々の名が刻まれている。フミ、トミ、よし子…女性が多い。住民の犠牲が多い証しだ。北海道出身の兵士十二人の名も並んでいた▼この島でも、悲惨な「集団自決」(強制集団死)があっ
た。米軍の捕虜になれば暴行されて殺される、と住民は教えられていた。それなら自分で死ぬ方がまし、と家族や知人が互いに殺し合った。沖縄戦は六月まで続く。日本側十八万八千人、米国側一万二千人の死者が出た▼海を望む丘に登った。双眼鏡をのぞく。鯨が噴き上げる潮が見える。風の音と野鳥のさえずり以外は何も聞こえない。静かな海だ。
2008-03-25(Tue)
JR常磐線駅殺人事件 編集手帳3月25日付
3月25日付 編集手帳
私立探偵フィリップ・マーロウが依頼主に語る。「尾行には最低六人が必要というのが常識になっているのです。…大都会なら十二人です」◆レイモンド・チャンドラーの代表作「プレイバック」(清水俊二訳、早川書房)のひとこまである。相手がホテルやデパートに立ち寄れば、何か所もある出入り口を押
さえねばならないからだという◆顔や服装を承知している尾行においてさえ、それだけの人手が必要だとすれば、人込みの駅で、相手の着衣も知らず、2年前の顔写真を頼りに容疑者を張り込む捜査員は、どれほどの数が必要だろう◆茨城県土浦市のJR常磐線「荒川沖」駅の構内と駅前で、殺人事件
で指名手配中の男が通行人に刃物を振りかざし、8人を殺傷した。駅では8人の私服警察官が男を警戒していたが、凶行を防げなかった◆「人員的に問題はなかった」という捜査幹部の発言が報じられている。髪形を変え、眼鏡で変装した男は、捜査員の前を素通りした。憎むべきは、ただ居合わせ
ただけの人命を奪い去った犯人だが、県警の弁明も「ああ、そうですか」と聞き流すことはできない◆変装を見破る目には質のみならず、量も欠かせないことは張り込みの常識だろう。「常識が何かいうのは、いつも手おくれになってからだ」。マーロウのせりふがむなしく響く。
(2008年3月25日01時31分 読売新聞)
私立探偵フィリップ・マーロウが依頼主に語る。「尾行には最低六人が必要というのが常識になっているのです。…大都会なら十二人です」◆レイモンド・チャンドラーの代表作「プレイバック」(清水俊二訳、早川書房)のひとこまである。相手がホテルやデパートに立ち寄れば、何か所もある出入り口を押
さえねばならないからだという◆顔や服装を承知している尾行においてさえ、それだけの人手が必要だとすれば、人込みの駅で、相手の着衣も知らず、2年前の顔写真を頼りに容疑者を張り込む捜査員は、どれほどの数が必要だろう◆茨城県土浦市のJR常磐線「荒川沖」駅の構内と駅前で、殺人事件
で指名手配中の男が通行人に刃物を振りかざし、8人を殺傷した。駅では8人の私服警察官が男を警戒していたが、凶行を防げなかった◆「人員的に問題はなかった」という捜査幹部の発言が報じられている。髪形を変え、眼鏡で変装した男は、捜査員の前を素通りした。憎むべきは、ただ居合わせ
ただけの人命を奪い去った犯人だが、県警の弁明も「ああ、そうですか」と聞き流すことはできない◆変装を見破る目には質のみならず、量も欠かせないことは張り込みの常識だろう。「常識が何かいうのは、いつも手おくれになってからだ」。マーロウのせりふがむなしく響く。
(2008年3月25日01時31分 読売新聞)
2008-03-25(Tue)
信なくば立たず 天声人語2008年03月25日(火曜日)付
天声人語
2008年03月25日(火曜日)付
「信なくば立たず」は孔子の言葉である。政治が民衆の信を失えば世の中は崩れる。ずばりと突くだけに座右の銘にする政治家は多く、元首相の三木武夫氏は好んで色紙に揮毫(きごう)した。小泉純一郎元首相もよく口にした▼食糧よりも軍備よりも、治世に大切なのは「信」だと孔子は言ったそうだ。
その「信」がやせ細り、立つ瀬もなくなった政治のさまが、本紙の世論調査で浮かび上がった。政治家を「信用している」という人は18%しかいなかった▼うち17%は「ある程度は」という留保つきだ。きっぱり信を置く人がたった1%とは、乱世を生きた孔子先生もあきれ顔だろう。そればかりか官僚への
信用度も、政治家と同じ数字に沈んだ。政と官。「公」の屋台骨を支える両者が、枕を並べて討ち死にの体である▼政官のやることなすことが、失望を招いてきた。大きいのはやはり年金か。「最後のお一人まで」と見えを切った前首相はとうに去り、懺悔(ざんげ)や謝罪は風の便りにも届かない。信じな
ければ欺かれることはない。むなしい処世を政治が広めたとしたら、罪なことである▼言葉を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと、作家の徳富蘆花(ろか)は書いている。火薬がなければ弾は通らない。つまり相手に届かない、と。福田首相は日々に火薬を減らすのか、「他人事(ひとごと)節」は、ますます遠い声になる▼かつて当たらないものの代名詞だった天気予報は、同じ調査で94%の信用を勝ち得ていた。雨のち晴れ。国民も本心では、こんな展開を政治に待ち望んでいるはずだ。
2008年03月25日(火曜日)付
「信なくば立たず」は孔子の言葉である。政治が民衆の信を失えば世の中は崩れる。ずばりと突くだけに座右の銘にする政治家は多く、元首相の三木武夫氏は好んで色紙に揮毫(きごう)した。小泉純一郎元首相もよく口にした▼食糧よりも軍備よりも、治世に大切なのは「信」だと孔子は言ったそうだ。
その「信」がやせ細り、立つ瀬もなくなった政治のさまが、本紙の世論調査で浮かび上がった。政治家を「信用している」という人は18%しかいなかった▼うち17%は「ある程度は」という留保つきだ。きっぱり信を置く人がたった1%とは、乱世を生きた孔子先生もあきれ顔だろう。そればかりか官僚への
信用度も、政治家と同じ数字に沈んだ。政と官。「公」の屋台骨を支える両者が、枕を並べて討ち死にの体である▼政官のやることなすことが、失望を招いてきた。大きいのはやはり年金か。「最後のお一人まで」と見えを切った前首相はとうに去り、懺悔(ざんげ)や謝罪は風の便りにも届かない。信じな
ければ欺かれることはない。むなしい処世を政治が広めたとしたら、罪なことである▼言葉を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと、作家の徳富蘆花(ろか)は書いている。火薬がなければ弾は通らない。つまり相手に届かない、と。福田首相は日々に火薬を減らすのか、「他人事(ひとごと)節」は、ますます遠い声になる▼かつて当たらないものの代名詞だった天気予報は、同じ調査で94%の信用を勝ち得ていた。雨のち晴れ。国民も本心では、こんな展開を政治に待ち望んでいるはずだ。
2008-03-25(Tue)
理不尽な運命の交差 余録
余録:理不尽な運命の交差
ツゲの櫛(くし)を持って四つ辻(つじ)に立つ。道祖神に祈りながら、そこに最初に通りかかった人が何をしゃべっているかに耳を傾ける。かつてはその言葉を自分の境遇にひきつけて解釈し、吉凶を占った。ツゲは「お告げ」の語呂合わせだ▲いわゆる「辻占(つじうら)」だが、昔の人は見知らぬ人同士
が行き交う四つ角を、それぞれの運命が交差する場所と考えたのだろう。また人が四方から集まり、去っていく辻はこの世と異世界との結び目で、魔物が怪異を起こす場所でもあった▲今なら四方八方から道が集まり、鉄道ともつながる場所は駅である。そこでは日々見知らぬ人同士の運命がさりげな
く交差する。だがまさか白昼、「誰でもいいから、人を殺したかった」という24歳の男のとんでもない殺意が自分の運命と重なり合おうとは誰だって予想できない▲茨城県のJR荒川沖駅で通路などにいた8人が相次いで刃物で襲われ、死傷した。逮捕された男は別の殺人容疑で指名手配中だった。し
かも男はこの事件に先立ち、小学校を襲う計画だったと供述しているという。胸の悪くなる冷血である▲聞けば荒川沖駅には男の捜査のために8人もの私服刑事が張り込んでいたという。だがうち1人は手傷を負い、容疑者はまんまと現場から姿をくらました。起こった結果を見れば、やはり警察の手抜か
りを指摘する厳しい声が出るのも仕方がない▲四方八方から駅に集まる道は、悪事をはたらく者には逃げ道となる。プロの捜査員として、より周到な網の張り方はなかったのだろうか。挑発を繰り返す容疑者の危険を知っていた警察は、まず市民を理不尽な運命の交差から守る策をとってほしかった。
毎日新聞 2008年3月25日 0時09分
ツゲの櫛(くし)を持って四つ辻(つじ)に立つ。道祖神に祈りながら、そこに最初に通りかかった人が何をしゃべっているかに耳を傾ける。かつてはその言葉を自分の境遇にひきつけて解釈し、吉凶を占った。ツゲは「お告げ」の語呂合わせだ▲いわゆる「辻占(つじうら)」だが、昔の人は見知らぬ人同士
が行き交う四つ角を、それぞれの運命が交差する場所と考えたのだろう。また人が四方から集まり、去っていく辻はこの世と異世界との結び目で、魔物が怪異を起こす場所でもあった▲今なら四方八方から道が集まり、鉄道ともつながる場所は駅である。そこでは日々見知らぬ人同士の運命がさりげな
く交差する。だがまさか白昼、「誰でもいいから、人を殺したかった」という24歳の男のとんでもない殺意が自分の運命と重なり合おうとは誰だって予想できない▲茨城県のJR荒川沖駅で通路などにいた8人が相次いで刃物で襲われ、死傷した。逮捕された男は別の殺人容疑で指名手配中だった。し
かも男はこの事件に先立ち、小学校を襲う計画だったと供述しているという。胸の悪くなる冷血である▲聞けば荒川沖駅には男の捜査のために8人もの私服刑事が張り込んでいたという。だがうち1人は手傷を負い、容疑者はまんまと現場から姿をくらました。起こった結果を見れば、やはり警察の手抜か
りを指摘する厳しい声が出るのも仕方がない▲四方八方から駅に集まる道は、悪事をはたらく者には逃げ道となる。プロの捜査員として、より周到な網の張り方はなかったのだろうか。挑発を繰り返す容疑者の危険を知っていた警察は、まず市民を理不尽な運命の交差から守る策をとってほしかった。
毎日新聞 2008年3月25日 0時09分
2008-03-25(Tue)
茨城県警 春秋(3/25)
春秋(3/25)
うららかに晴れ上がった日曜日の午前だ。春風に誘われて、さまざまな人が行き交っていただろう。茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅前。高い空では、この県の鳥ヒバリが陽春の訪れを告げ、楽しげな声を響かせていたかもしれない。
▼凶漢はそんな光景をむごたらしく切り裂いた。殺人容疑で指名手配中の男が8人を殺傷した事件である。「捕まえてごらん」。こう挑発する電話をかけてきた男の立ち回りそうな場所に、私服警官が張り込んでいた。荒川沖でも目を凝らしていた。それなのに第二の犯行を許してしまった。警察よ、どうしたのだ。
▼捜査側にも言い分はあろう。制服警官を配置していれば犯行を防ぐ効果があったとしても、それでは容疑者を深く潜行させかねない。男は変装していたから、いかにプロだって見破るのは簡単ではない。けれど、やはり悔しいではないか。「ベストを尽くした」という県警幹部の当初の釈明には耳を疑ってしまう。
▼追跡を振り切った男は無人の交番に入り込んで「私が犯人だ」と、おぞましく宣言してみせた。警察はこの痛恨事の原因をとことん洗い出さなければ被害者に申しわけが立つまい。茨城県警のシンボルは県鳥にちなみヒバリだ。警戒心が強く、機敏に舞い上がり舞い降りる。捜査も、かくあったならと無念が募る。
うららかに晴れ上がった日曜日の午前だ。春風に誘われて、さまざまな人が行き交っていただろう。茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅前。高い空では、この県の鳥ヒバリが陽春の訪れを告げ、楽しげな声を響かせていたかもしれない。
▼凶漢はそんな光景をむごたらしく切り裂いた。殺人容疑で指名手配中の男が8人を殺傷した事件である。「捕まえてごらん」。こう挑発する電話をかけてきた男の立ち回りそうな場所に、私服警官が張り込んでいた。荒川沖でも目を凝らしていた。それなのに第二の犯行を許してしまった。警察よ、どうしたのだ。
▼捜査側にも言い分はあろう。制服警官を配置していれば犯行を防ぐ効果があったとしても、それでは容疑者を深く潜行させかねない。男は変装していたから、いかにプロだって見破るのは簡単ではない。けれど、やはり悔しいではないか。「ベストを尽くした」という県警幹部の当初の釈明には耳を疑ってしまう。
▼追跡を振り切った男は無人の交番に入り込んで「私が犯人だ」と、おぞましく宣言してみせた。警察はこの痛恨事の原因をとことん洗い出さなければ被害者に申しわけが立つまい。茨城県警のシンボルは県鳥にちなみヒバリだ。警戒心が強く、機敏に舞い上がり舞い降りる。捜査も、かくあったならと無念が募る。
2008-03-25(Tue)
鬼 卓上四季(3月25日)
卓上四季
鬼(3月25日)
昔話の一寸法師は、姫と船に乗り無人島に着いた。そこで鬼にのみ込まれる。だが小さい体なので、鬼の目玉から脱出した。今度は鬼が恐れをなして逃げる。置いていったのが打ち出の小づちだ。振ると金銀財宝が出てくる▼日本の文化で、鬼は時に富や福をもたらすと考えられた。「鬼の目にも涙」と
いうように絶対的な悪ではない。負けを認めて頭を下げる。神にもなる。悪人にも善の心がある、人間とは概してそういうものだと信じられてきた▼こうした「悪人観」が、変わってゆくのかもしれない。茨城の連続殺傷では、別の殺人事件で指名手配されていた二十四歳の容疑者が八人を刺した。「誰でも
よかった。人を殺したかった」などと供述したそうだ▼現代の世は、こういう者をたまに生み出す。先に死刑の判決が出た京都の強盗殺人事件の被告は「人殺しぐらいやって当然だ。自分を褒めたい」と言った。大阪・池田の児童殺傷事件で死刑となった男は「犯行前日に戻れるならダンプでもっと多くの人
をひき殺す」と述べた▼自他の人生を踏みにじり何とも思わぬ虚無の深さ。凶悪犯をよく鬼畜というが、鬼は涙を流す。動物も無益な殺生はまずしない。鬼畜にも劣る者たちは心をどこに吸い取られてしまったか▼人の心のあり方が、それほど大切にはされない世である。人の心のつながりが、はっきり見えにくい世でもある。
鬼(3月25日)
昔話の一寸法師は、姫と船に乗り無人島に着いた。そこで鬼にのみ込まれる。だが小さい体なので、鬼の目玉から脱出した。今度は鬼が恐れをなして逃げる。置いていったのが打ち出の小づちだ。振ると金銀財宝が出てくる▼日本の文化で、鬼は時に富や福をもたらすと考えられた。「鬼の目にも涙」と
いうように絶対的な悪ではない。負けを認めて頭を下げる。神にもなる。悪人にも善の心がある、人間とは概してそういうものだと信じられてきた▼こうした「悪人観」が、変わってゆくのかもしれない。茨城の連続殺傷では、別の殺人事件で指名手配されていた二十四歳の容疑者が八人を刺した。「誰でも
よかった。人を殺したかった」などと供述したそうだ▼現代の世は、こういう者をたまに生み出す。先に死刑の判決が出た京都の強盗殺人事件の被告は「人殺しぐらいやって当然だ。自分を褒めたい」と言った。大阪・池田の児童殺傷事件で死刑となった男は「犯行前日に戻れるならダンプでもっと多くの人
をひき殺す」と述べた▼自他の人生を踏みにじり何とも思わぬ虚無の深さ。凶悪犯をよく鬼畜というが、鬼は涙を流す。動物も無益な殺生はまずしない。鬼畜にも劣る者たちは心をどこに吸い取られてしまったか▼人の心のあり方が、それほど大切にはされない世である。人の心のつながりが、はっきり見えにくい世でもある。
2008-03-24(Mon)
カンボジアの高度経済成長 編集手帳3月24日付
3月24日付 編集手帳
カンボジア政府公認の観光ガイド、サムさんは、自分の誕生日を知らないと言った。「1977年生まれ、まではわかっているけれど…」◆70年代後半、170万人以上が集団虐殺の犠牲になったとされるポル・ポト政権下、生まれたばかりのサムさんを抱えた両親は、幾度も引っ越しを繰り返した。その
うち、彼の誕生日を記したメモもどこかへ紛れてしまった◆日本記者クラブ取材団の一員として訪れたカンボジアには依然、あの時代の痕跡があちこちに見受けられた。記者会見に臨んだプラシット商業相は、ポル・ポト政権による知識人弾圧の矛先をかいくぐり、生還を果たした数少ない一人であると自
己紹介した◆大量虐殺を裁く特別法廷が、ポル・ポト派元幹部5人に対する捜査を進めている。問われているのは人道に対する罪◆それ自体、途方もなく重い罪だが、カンボジアで感じたポル・ポト派の今に残した罪深さは、「人材」に対する無頓着にある。国の力が国民一人一人の力の結集であると、
どうして気付かなかったのだろうか◆多数の知識人層を抹殺したことで、ポル・ポト派は30年が過ぎても取り返せない深手を、国に与えた。ようやくここ数年、カンボジアは高い経済成長を達成している。誕生日を祝える次世代を育てながら、着実に国造りを進めてもらいたい。
(2008年3月24日01時44分 読売新聞)
カンボジア政府公認の観光ガイド、サムさんは、自分の誕生日を知らないと言った。「1977年生まれ、まではわかっているけれど…」◆70年代後半、170万人以上が集団虐殺の犠牲になったとされるポル・ポト政権下、生まれたばかりのサムさんを抱えた両親は、幾度も引っ越しを繰り返した。その
うち、彼の誕生日を記したメモもどこかへ紛れてしまった◆日本記者クラブ取材団の一員として訪れたカンボジアには依然、あの時代の痕跡があちこちに見受けられた。記者会見に臨んだプラシット商業相は、ポル・ポト政権による知識人弾圧の矛先をかいくぐり、生還を果たした数少ない一人であると自
己紹介した◆大量虐殺を裁く特別法廷が、ポル・ポト派元幹部5人に対する捜査を進めている。問われているのは人道に対する罪◆それ自体、途方もなく重い罪だが、カンボジアで感じたポル・ポト派の今に残した罪深さは、「人材」に対する無頓着にある。国の力が国民一人一人の力の結集であると、
どうして気付かなかったのだろうか◆多数の知識人層を抹殺したことで、ポル・ポト派は30年が過ぎても取り返せない深手を、国に与えた。ようやくここ数年、カンボジアは高い経済成長を達成している。誕生日を祝える次世代を育てながら、着実に国造りを進めてもらいたい。
(2008年3月24日01時44分 読売新聞)
2008-03-24(Mon)
日米同盟 天声人語2008年03月24日(月曜日)付
天声人語
2008年03月24日(月曜日)付
「庭先」の話になるが、朝日新聞東京本社のコンコースが春の色になった。イラストレーター、米澤よう子さんの「想像上のポスター」展だ。パリの街角が薫る架空の広告が咲き競っている▼はるか南では、春を飛び越えて夏色がにじみ始めた。沖縄で海開きだと聞き、国土に亜熱帯がある幸せを思う。
この島の特別な位置は、しかし、観光資源である前に過酷な歴史を人々に強いてきた。季節の変わり目に、その思いを強くする▼きのう沖縄で、米兵による事件・事故に抗議する県民大会が開かれた。極東最大の米軍基地の足元で相次ぐ無法と暴力。日米の政府は県民の怒りをまじめに受け止め
よと、雨の中で大会決議が採択された▼その少し前、茨城県土浦市では、4日前の殺人事件で手配中の男が通行人を襲い、8人が死傷した。時々刻々、日本では多くの凶悪犯罪が発生しており、米兵の非道はごく一部にすぎない。だが、日米政府が対応を誤れば、基地の存在を問う世論がさらに盛り
上がる▼基地の街、神奈川県横須賀市でタクシー運転手が刺殺された。なぜか車内に残されたクレジットカードの持ち主は米巡洋艦の水兵で、米軍に身柄を拘束された。司令官は日本側の捜査に全面協力すると約束したが、どこまで行動が伴うのか見守りたい▼一枚のポスターが周囲の空気を一
変させるように、一つの出来事が日米同盟を揺るがすことがある。その都度、不平等な取り決めは見直されてきた。日本人が泣くたびに両国の関係がまともになる。おかしな話である。
2008年03月24日(月曜日)付
「庭先」の話になるが、朝日新聞東京本社のコンコースが春の色になった。イラストレーター、米澤よう子さんの「想像上のポスター」展だ。パリの街角が薫る架空の広告が咲き競っている▼はるか南では、春を飛び越えて夏色がにじみ始めた。沖縄で海開きだと聞き、国土に亜熱帯がある幸せを思う。
この島の特別な位置は、しかし、観光資源である前に過酷な歴史を人々に強いてきた。季節の変わり目に、その思いを強くする▼きのう沖縄で、米兵による事件・事故に抗議する県民大会が開かれた。極東最大の米軍基地の足元で相次ぐ無法と暴力。日米の政府は県民の怒りをまじめに受け止め
よと、雨の中で大会決議が採択された▼その少し前、茨城県土浦市では、4日前の殺人事件で手配中の男が通行人を襲い、8人が死傷した。時々刻々、日本では多くの凶悪犯罪が発生しており、米兵の非道はごく一部にすぎない。だが、日米政府が対応を誤れば、基地の存在を問う世論がさらに盛り
上がる▼基地の街、神奈川県横須賀市でタクシー運転手が刺殺された。なぜか車内に残されたクレジットカードの持ち主は米巡洋艦の水兵で、米軍に身柄を拘束された。司令官は日本側の捜査に全面協力すると約束したが、どこまで行動が伴うのか見守りたい▼一枚のポスターが周囲の空気を一
変させるように、一つの出来事が日米同盟を揺るがすことがある。その都度、不平等な取り決めは見直されてきた。日本人が泣くたびに両国の関係がまともになる。おかしな話である。
2008-03-24(Mon)
ダライ・ラマ 余録
余録:ダライ・ラマ
「政治家だって使い捨て」。小泉純一郎元首相が、いわゆる「小泉チルドレン」にそう言い放ったら、ワーキングプアといわれる若者たちの間で、小泉人気が急上昇したそうだ。明日への希望をもてない「使い捨て」扱いの気持ちがよく分かっているというのだ▲そのことに文化人類学者の上田紀行さん
は大きなショックを受けた。「使い捨てにされているのは政治が悪いからではないか」と怒るどころか、「そうだ、みんな使い捨てなんだ」というふうに納得してしまっている、と▲このまま「使い捨て」が社会の標準になれば、取り返しがつかなくなる。私たちは交換可能な消耗品ではなく、一人一人がかけが
えのない存在ではないか。上田さんは最新刊「かけがえのない人間」(講談社現代新書)でそんな思いを熱く語っている▲その本で「使い捨て」の対極に置かれているのは、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が説く「愛と思いやり」だ。そんなことを言えば、国際的な競争力が低下し、国民にも
依存心が広がり、弱い国になるとの批判を浴びそうだが、社会への信頼を取り戻すのが大切だという▲そのダライ・ラマは今や中国政府の最大の敵。チベット暴動の収拾に向けた対話を呼びかけても、中国側は激しい敵意を表すだけだ。外国メディアなどの現地立ち入りが拒否され、閉ざされた中で悲
劇が続いていないか気がかりだ▲人は何によって生き、どんな社会を求めるのか。ダライ・ラマは「愛や思いやりの心を持てばこそ、差別や暴力に怒るべきだ」という。チベット暴動は遠い世界のことではない。日本人は「思いやり」も「怒り」も忘れている。
毎日新聞 2008年3月24日 0時06分
「政治家だって使い捨て」。小泉純一郎元首相が、いわゆる「小泉チルドレン」にそう言い放ったら、ワーキングプアといわれる若者たちの間で、小泉人気が急上昇したそうだ。明日への希望をもてない「使い捨て」扱いの気持ちがよく分かっているというのだ▲そのことに文化人類学者の上田紀行さん
は大きなショックを受けた。「使い捨てにされているのは政治が悪いからではないか」と怒るどころか、「そうだ、みんな使い捨てなんだ」というふうに納得してしまっている、と▲このまま「使い捨て」が社会の標準になれば、取り返しがつかなくなる。私たちは交換可能な消耗品ではなく、一人一人がかけが
えのない存在ではないか。上田さんは最新刊「かけがえのない人間」(講談社現代新書)でそんな思いを熱く語っている▲その本で「使い捨て」の対極に置かれているのは、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が説く「愛と思いやり」だ。そんなことを言えば、国際的な競争力が低下し、国民にも
依存心が広がり、弱い国になるとの批判を浴びそうだが、社会への信頼を取り戻すのが大切だという▲そのダライ・ラマは今や中国政府の最大の敵。チベット暴動の収拾に向けた対話を呼びかけても、中国側は激しい敵意を表すだけだ。外国メディアなどの現地立ち入りが拒否され、閉ざされた中で悲
劇が続いていないか気がかりだ▲人は何によって生き、どんな社会を求めるのか。ダライ・ラマは「愛や思いやりの心を持てばこそ、差別や暴力に怒るべきだ」という。チベット暴動は遠い世界のことではない。日本人は「思いやり」も「怒り」も忘れている。
毎日新聞 2008年3月24日 0時06分
2008-03-24(Mon)
春の情景 春秋(3/24)
春秋(3/24)
ぽかぽか陽気に誘われて散歩に出ると、ハクモクレンやほころびかけたサクラなど樹上の花に、どうしても目がいってしまうが、道ばたの草たちの浅い緑もまた、伸びやかに春の勢いを伝えている。春の草という季語は、そんな名もない野の草を指すらしい。
▼「春草は足の短き犬に萌(も)ゆ」(中村草田男)ミニチュアダックスフントのような脚の短い犬が、まだ草丈が低く萌え出たばかりの草の中を歩いて行く。その姿、今ならさしずめ「わんちゃんに若草が萌え―」、という図だろうか。彼岸過ぎのうららかな春の情景だ。
▼米国では、農地のあぜ道や路傍に自生している多年草を、バイオ燃料の原料にする研究が進んでいるという。スイッチグラスと呼ぶこの草、本格的に栽培すると、1ヘクタール当たり最大11トンほどの収穫がある。これを工場でエタノールにして、バイオ燃料にすれば、栽培や収穫に投入したエネルギー量の5倍以上のエネルギーが得られという。
▼トウモロコシを原料にしたバイオ燃料だと、この利得はわずか25%増でしかない。米国科学アカデミーの紀要にのった研究報告である。トウモロコシの実は、やっぱり食料や飼料に。燃料には芯や茎や葉を。スイッチグラスは一見効率的だが、燃料目当てに食えない草が農地を占領すると、食料不足も心配だ。
ぽかぽか陽気に誘われて散歩に出ると、ハクモクレンやほころびかけたサクラなど樹上の花に、どうしても目がいってしまうが、道ばたの草たちの浅い緑もまた、伸びやかに春の勢いを伝えている。春の草という季語は、そんな名もない野の草を指すらしい。
▼「春草は足の短き犬に萌(も)ゆ」(中村草田男)ミニチュアダックスフントのような脚の短い犬が、まだ草丈が低く萌え出たばかりの草の中を歩いて行く。その姿、今ならさしずめ「わんちゃんに若草が萌え―」、という図だろうか。彼岸過ぎのうららかな春の情景だ。
▼米国では、農地のあぜ道や路傍に自生している多年草を、バイオ燃料の原料にする研究が進んでいるという。スイッチグラスと呼ぶこの草、本格的に栽培すると、1ヘクタール当たり最大11トンほどの収穫がある。これを工場でエタノールにして、バイオ燃料にすれば、栽培や収穫に投入したエネルギー量の5倍以上のエネルギーが得られという。
▼トウモロコシを原料にしたバイオ燃料だと、この利得はわずか25%増でしかない。米国科学アカデミーの紀要にのった研究報告である。トウモロコシの実は、やっぱり食料や飼料に。燃料には芯や茎や葉を。スイッチグラスは一見効率的だが、燃料目当てに食えない草が農地を占領すると、食料不足も心配だ。
2008-03-24(Mon)
イラク反戦デモ 卓上四季(3月24日)
卓上四季
「イラク反戦デモ」(3月24日)
イラク戦争開戦から五年。米軍の撤退を求める「ワールド・ピース・ナウ 平和をねがい世界が動く」が週末の東京都心部で行われた▼五十近い市民団体が実行委員会を組織した。親子づれや年配の夫婦、お年寄りに若者、僧侶や労組員。多彩な顔ぶれの約千五百人(主催者発表)が「もう戦争はいら
ない」「航空自衛隊も撤退せよ」などと訴えた▼全米各地でも十九日に大規模な反戦デモが行われたがブッシュ米大統領はなお強気だ。先の演説でも米国がイラクで成功を収めるのは疑問の余地がないと言い切った。さらに「人命や財政の負担が大きかったのは確かだ。しかし、必要な代償だった」と
まで述べた▼では、イラクの情勢がどうなれば「成功を収めた」ことになるのだろう。テロがなくなるまでか。民主化が実現するまでか。この先、イラクの人々や米兵の命がどれだけ奪われるのだろう。それも目的のためにはやむを得ない代償と言うのだろうか▼東京の集会。イラクから二週間前に戻った
ばかりというフリージャーナリストの志葉玲さんは、イラクで何が起きているのかを想像してみてくださいと参加者に呼びかけた。いつ襲ってくるかわからない死の恐怖、残された家族や肉親の思い▼イラクの惨状は時折テレビ画面を通じて日本にも届く。しかし現実はもっとすさまじい。人々の悲しみと怒りに想像力をはたらかせたい。
「イラク反戦デモ」(3月24日)
イラク戦争開戦から五年。米軍の撤退を求める「ワールド・ピース・ナウ 平和をねがい世界が動く」が週末の東京都心部で行われた▼五十近い市民団体が実行委員会を組織した。親子づれや年配の夫婦、お年寄りに若者、僧侶や労組員。多彩な顔ぶれの約千五百人(主催者発表)が「もう戦争はいら
ない」「航空自衛隊も撤退せよ」などと訴えた▼全米各地でも十九日に大規模な反戦デモが行われたがブッシュ米大統領はなお強気だ。先の演説でも米国がイラクで成功を収めるのは疑問の余地がないと言い切った。さらに「人命や財政の負担が大きかったのは確かだ。しかし、必要な代償だった」と
まで述べた▼では、イラクの情勢がどうなれば「成功を収めた」ことになるのだろう。テロがなくなるまでか。民主化が実現するまでか。この先、イラクの人々や米兵の命がどれだけ奪われるのだろう。それも目的のためにはやむを得ない代償と言うのだろうか▼東京の集会。イラクから二週間前に戻った
ばかりというフリージャーナリストの志葉玲さんは、イラクで何が起きているのかを想像してみてくださいと参加者に呼びかけた。いつ襲ってくるかわからない死の恐怖、残された家族や肉親の思い▼イラクの惨状は時折テレビ画面を通じて日本にも届く。しかし現実はもっとすさまじい。人々の悲しみと怒りに想像力をはたらかせたい。
2008-03-21(Fri)
博士号 編集手帳3月21日付
3月21日付 編集手帳
文学博士の学位を与えるので出頭せよ。文部省から通知を受けた夏目漱石は辞退する旨の手紙を書いた。「ただの夏目なにがしで暮したい…」と。1911年(明治44年)のことである◆結局は一方的に授与されたらしい。明治大学から卒業式の来賓招待状が届いたときは、博士の肩書を見とがめ、
「愚弄(ぐろう)されているような厭(いや)な心持」だと明大に抗議している(岩波文庫「漱石書簡集」)◆誰もが「ただの…なにがし」で世を渡れるわけでもない。「足の裏の飯粒」と同じで取らねば気分が悪く、取っても食えない――ともいわれる博士号だが、学問を志した人には心の躍る里程標であろう◆
横浜市立大学医学部の「謝礼」問題が世を騒がせている。学部長や教授が、医学博士の学位を取得した大学院生などから“長年の慣例”として現金を受け取っていたという◆学位認定を審査する立場の人が謝礼をもらえば、何らかの手心を加えたと疑われても仕方がない。慣例に従って何十万円かを
差し出す大学院生のなかには、おのが学問を「愚弄されているような厭な心持」になった人もいただろう◆「吾輩(わがはい)は猫である」の猫は、のんきに暮らす教師の主人を見て言う。「人間と生れたら教師となるに限る」と。のんきも結構だが、贈収賄と紙一重の慣例を何とも思わないのでは度が過ぎる。
(2008年3月21日01時29分 読売新聞)
文学博士の学位を与えるので出頭せよ。文部省から通知を受けた夏目漱石は辞退する旨の手紙を書いた。「ただの夏目なにがしで暮したい…」と。1911年(明治44年)のことである◆結局は一方的に授与されたらしい。明治大学から卒業式の来賓招待状が届いたときは、博士の肩書を見とがめ、
「愚弄(ぐろう)されているような厭(いや)な心持」だと明大に抗議している(岩波文庫「漱石書簡集」)◆誰もが「ただの…なにがし」で世を渡れるわけでもない。「足の裏の飯粒」と同じで取らねば気分が悪く、取っても食えない――ともいわれる博士号だが、学問を志した人には心の躍る里程標であろう◆
横浜市立大学医学部の「謝礼」問題が世を騒がせている。学部長や教授が、医学博士の学位を取得した大学院生などから“長年の慣例”として現金を受け取っていたという◆学位認定を審査する立場の人が謝礼をもらえば、何らかの手心を加えたと疑われても仕方がない。慣例に従って何十万円かを
差し出す大学院生のなかには、おのが学問を「愚弄されているような厭な心持」になった人もいただろう◆「吾輩(わがはい)は猫である」の猫は、のんきに暮らす教師の主人を見て言う。「人間と生れたら教師となるに限る」と。のんきも結構だが、贈収賄と紙一重の慣例を何とも思わないのでは度が過ぎる。
(2008年3月21日01時29分 読売新聞)
2008-03-21(Fri)
プロ野球パ・リーグ開幕 天声人語2008年03月21日(金曜日)付
天声人語
2008年03月21日(金曜日)付
寒の戻りのなかで、プロ野球のパ・リーグがきのう幕を開けた。いよいよ球春である。雨と寒さを心配していたら、3試合ともドーム球場だった。これならファンは前夜、ぐっすり眠れただろう▼春先の冷え込みを余寒という。対になる語は残暑だが、昔は「余熱」とも言った。その言葉を中国では、年配者
がもう一(ひと)頑張りする意味でも使うそうだ。「余熱を発揮する」と言えば、冷めない情熱を世の役に立てることだという▼この人たちの挑戦を余熱と言っては失礼か。海の向こうの大リーグで、日本の熟年選手が夢を追っている。「失うものはないから」と言う桑田真澄投手。邦人大リーガーの道をひらい
た野茂英雄投手。華やかな実績に彩られつつ、過去への安住を拒む。ともに今年、40歳を迎える▼めざす「開幕1軍」は容易ではない。息子のような若手もまじっての、チーム内の生き残り競争だ。傷んだ体を治療し、つらいリハビリに耐えて、夢に迫る。「野球をするのが好き」という、少年のような野
茂投手の言葉がいい▼人生の達人だった臨床心理学者の河合隼雄さんが、「年齢を括弧(かっこ)に入れる」ことを勧めていた。「年齢を忘れる」のとは違う。年齢は自覚しつつ、それはそれとして何かに挑む。しゃかりきになるより豊かで味わい深い、と▼年度のあらたまる季節、余熱を生かす計画をお持
ちの方もおられよう。仕事や趣味、あるいは奉仕。それぞれに心弾むデビューであればいい。熟年投手のチャレンジ精神に励まされながら、齢(よわい)は括弧に入れて。
2008年03月21日(金曜日)付
寒の戻りのなかで、プロ野球のパ・リーグがきのう幕を開けた。いよいよ球春である。雨と寒さを心配していたら、3試合ともドーム球場だった。これならファンは前夜、ぐっすり眠れただろう▼春先の冷え込みを余寒という。対になる語は残暑だが、昔は「余熱」とも言った。その言葉を中国では、年配者
がもう一(ひと)頑張りする意味でも使うそうだ。「余熱を発揮する」と言えば、冷めない情熱を世の役に立てることだという▼この人たちの挑戦を余熱と言っては失礼か。海の向こうの大リーグで、日本の熟年選手が夢を追っている。「失うものはないから」と言う桑田真澄投手。邦人大リーガーの道をひらい
た野茂英雄投手。華やかな実績に彩られつつ、過去への安住を拒む。ともに今年、40歳を迎える▼めざす「開幕1軍」は容易ではない。息子のような若手もまじっての、チーム内の生き残り競争だ。傷んだ体を治療し、つらいリハビリに耐えて、夢に迫る。「野球をするのが好き」という、少年のような野
茂投手の言葉がいい▼人生の達人だった臨床心理学者の河合隼雄さんが、「年齢を括弧(かっこ)に入れる」ことを勧めていた。「年齢を忘れる」のとは違う。年齢は自覚しつつ、それはそれとして何かに挑む。しゃかりきになるより豊かで味わい深い、と▼年度のあらたまる季節、余熱を生かす計画をお持
ちの方もおられよう。仕事や趣味、あるいは奉仕。それぞれに心弾むデビューであればいい。熟年投手のチャレンジ精神に励まされながら、齢(よわい)は括弧に入れて。
2008-03-21(Fri)
政治家の「正道」 余録
余録:政治家の「正道」
戦後はじめて日本銀行総裁が空席となった20日に福田康夫首相が発信した内閣メールマガジンを読んで、心境をうかがい知る一節に目が止まった。戦前の民政党総裁、浜口雄幸首相の「唯一正道を歩まん」という言葉を引用した部分だ▲首相はつづる。「ただ空白を避けるため、当たり障りのない
人物で政治的妥協を図ることはできたかもしれません。しかし、日本経済や国民生活に大きな影響を与えるポストだからこそ、逆に、人物本位を貫くべきだと考えました」と▲浜口首相は日銀出身の井上準之助を蔵相に起用し、軍部、役人、財界などの強い抵抗を押し切って緊縮財政に取り組み、悲運に
も東京駅頭で凶弾を浴びた。福田首相はその不退転の姿勢を見習うべきだと思っているのかもしれない▲そういえば安倍晋三前首相も「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾(われ)ゆかん」という孟子の勇ましい言葉が好きだった。首相の地位に就くと、批判は覚悟のうえで信念を貫
かなければならないとの思いにかられるのだろう▲しかし、政治家についてはこういう指摘があることもトップリーダーなら忘れないでいただきたい。ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーが「現実をあるがままに受け止める能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である」と言ってい
る▲いまの日本政治の「あるがままの現実」とは、衆院と参院で多数派が分かれている中では与党と野党が対話を重ね着実に合意点を見いだす努力をしなければ政治が一歩も前へ進まないということである。この事実を受け入れる度量を持てば、「正道」がどこにあるかはおのずとわかるはずだ。
毎日新聞 2008年3月21日 0時02分
戦後はじめて日本銀行総裁が空席となった20日に福田康夫首相が発信した内閣メールマガジンを読んで、心境をうかがい知る一節に目が止まった。戦前の民政党総裁、浜口雄幸首相の「唯一正道を歩まん」という言葉を引用した部分だ▲首相はつづる。「ただ空白を避けるため、当たり障りのない
人物で政治的妥協を図ることはできたかもしれません。しかし、日本経済や国民生活に大きな影響を与えるポストだからこそ、逆に、人物本位を貫くべきだと考えました」と▲浜口首相は日銀出身の井上準之助を蔵相に起用し、軍部、役人、財界などの強い抵抗を押し切って緊縮財政に取り組み、悲運に
も東京駅頭で凶弾を浴びた。福田首相はその不退転の姿勢を見習うべきだと思っているのかもしれない▲そういえば安倍晋三前首相も「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾(われ)ゆかん」という孟子の勇ましい言葉が好きだった。首相の地位に就くと、批判は覚悟のうえで信念を貫
かなければならないとの思いにかられるのだろう▲しかし、政治家についてはこういう指摘があることもトップリーダーなら忘れないでいただきたい。ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーが「現実をあるがままに受け止める能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要である」と言ってい
る▲いまの日本政治の「あるがままの現実」とは、衆院と参院で多数派が分かれている中では与党と野党が対話を重ね着実に合意点を見いだす努力をしなければ政治が一歩も前へ進まないということである。この事実を受け入れる度量を持てば、「正道」がどこにあるかはおのずとわかるはずだ。
毎日新聞 2008年3月21日 0時02分
2008-03-21(Fri)
無試験入学 春秋(3/21)
春秋(3/21)
明治の末年、芥川龍之介は無試験で一高文科に入った。当時の旧制高校は中学校からの推薦でたくさんの学生を受け入れていて、その1人だったのだ。後に文名を得る久米正雄や、共産党の幹部になる佐野文夫も同級の無試験組だった。
▼現代史家の秦郁彦さんが「旧制高校物語」で触れている話である。秦さんが数えたところ、その年の一高入学者355人のうち64人が無試験だという。すでにペーパーテスト一辺倒への反省があったからだろうが、結局は評判が悪く大正期には影を潜める。筆記試験の方法もまた猫の目のように変転した。
▼国公立大後期日程の合格発表が始まった。最後のチャンスに挑んだ受験生に吉報あれと願うけれど、選抜というのはやはり無情なものだ。その仕組みを改めようと、面接や小論文を重んじたAO(アドミッション・オフィス)入試が近年は盛んになった。しかしこれも入学後の成績が芳しくないなどと不評らしい。
▼選抜をめぐる試行錯誤は、旧制高校のころとあまり変わらないということだろう。そういえば、推薦で一高に入った久米正雄は後年「受験生の手記」なる小説を書き、主人公に無試験組の学生をあえて揶揄(やゆ)させている。「あいつ自分で入ったように威張っている」。入試改革も受験生心理も解きがたい難問である。
明治の末年、芥川龍之介は無試験で一高文科に入った。当時の旧制高校は中学校からの推薦でたくさんの学生を受け入れていて、その1人だったのだ。後に文名を得る久米正雄や、共産党の幹部になる佐野文夫も同級の無試験組だった。
▼現代史家の秦郁彦さんが「旧制高校物語」で触れている話である。秦さんが数えたところ、その年の一高入学者355人のうち64人が無試験だという。すでにペーパーテスト一辺倒への反省があったからだろうが、結局は評判が悪く大正期には影を潜める。筆記試験の方法もまた猫の目のように変転した。
▼国公立大後期日程の合格発表が始まった。最後のチャンスに挑んだ受験生に吉報あれと願うけれど、選抜というのはやはり無情なものだ。その仕組みを改めようと、面接や小論文を重んじたAO(アドミッション・オフィス)入試が近年は盛んになった。しかしこれも入学後の成績が芳しくないなどと不評らしい。
▼選抜をめぐる試行錯誤は、旧制高校のころとあまり変わらないということだろう。そういえば、推薦で一高に入った久米正雄は後年「受験生の手記」なる小説を書き、主人公に無試験組の学生をあえて揶揄(やゆ)させている。「あいつ自分で入ったように威張っている」。入試改革も受験生心理も解きがたい難問である。
2008-03-21(Fri)
イラク開戦5年 卓上四季(3月21日)
卓上四季
イラク開戦5年(3月21日)
太平洋戦争は、日本の敗戦まで三年八カ月続いた。第一次世界大戦は四年三カ月だ。イラク戦争は開戦五年を迎えた。現代史の中でも短い方ではない▼この戦争は、何でも飲み込むブラックホールだ。戦費は膨大である。米国は六十五兆円を費やした。十五年続いたベトナム戦争さえ、今の貨幣価
値で五十兆円だ。「テロとの戦い」があと十年続くと、その総額は二百三十兆円との試算もある。日本の国家予算の三年分に近い▼ブラックホールは多くの命を奪った。米兵は四千人が死亡した。イラク人の犠牲者は八万人とも十五万人ともいう。開戦の少し後、ブッシュ大統領が「主要な戦闘は終わっ
た」と宣言した。この時まだ、米側の死者は百七十人、イラク側は五千人だった。泥沼だ▼倫理や道義も飲み込んだ。開戦理由となった大量破壊兵器は存在しない。旧フセイン政権と、同時テロを実行したアルカイダとの関係は否定された。だが米国の為政者が開戦を反省した様子はみえない▼五年
前、米国内にも根強い非戦論はあった。開戦直前の調査では、四割が慎重だった。それでも始めたら止められない。これが戦争である▼日本政府が国民より米国の顔色をうかがう中、イラクで戦った空母などの米軍艦船が道内の港に入った。千歳では戦闘機の日米共同訓練が行われた。米軍が北海道との関与を強めているのも、五年たった現実だ。
イラク開戦5年(3月21日)
太平洋戦争は、日本の敗戦まで三年八カ月続いた。第一次世界大戦は四年三カ月だ。イラク戦争は開戦五年を迎えた。現代史の中でも短い方ではない▼この戦争は、何でも飲み込むブラックホールだ。戦費は膨大である。米国は六十五兆円を費やした。十五年続いたベトナム戦争さえ、今の貨幣価
値で五十兆円だ。「テロとの戦い」があと十年続くと、その総額は二百三十兆円との試算もある。日本の国家予算の三年分に近い▼ブラックホールは多くの命を奪った。米兵は四千人が死亡した。イラク人の犠牲者は八万人とも十五万人ともいう。開戦の少し後、ブッシュ大統領が「主要な戦闘は終わっ
た」と宣言した。この時まだ、米側の死者は百七十人、イラク側は五千人だった。泥沼だ▼倫理や道義も飲み込んだ。開戦理由となった大量破壊兵器は存在しない。旧フセイン政権と、同時テロを実行したアルカイダとの関係は否定された。だが米国の為政者が開戦を反省した様子はみえない▼五年
前、米国内にも根強い非戦論はあった。開戦直前の調査では、四割が慎重だった。それでも始めたら止められない。これが戦争である▼日本政府が国民より米国の顔色をうかがう中、イラクで戦った空母などの米軍艦船が道内の港に入った。千歳では戦闘機の日米共同訓練が行われた。米軍が北海道との関与を強めているのも、五年たった現実だ。
2008-03-19(Wed)
日銀総裁職空席 編集手帳3月19日付
3月19日付 編集手帳
浪々の身にある呂尚(りょしょう)(のちの太公望)が川に釣り糸を垂れていた。通りかかった周の名君文王に見いだされ、興国の功臣となる◆「釣れますかなどと文王そばへ寄り」。川柳にも詠まれた人材発掘の名場面である。健康で飛び切り有能な人間が気ままな境涯にあり、のんびり釣りをしてい
る。誰もが忙しい現代、何十、何百の川を訪ねても呂尚には出会えまい◆官僚OB、学者、財界人を問わず、「あすから日本銀行総裁に」と言われて首を縦に振れる人が何人いるだろう。ある人は仕掛かりの仕事で手が離せず、ある人は責任の重さに尻込みし、ある人は能力に、または健康に不安を
抱く◆福井俊彦総裁の任期が切れる前日のきのう、政府は後任に田波耕治・国際協力銀行総裁を充てる人事案を国会に提出した。任に堪えうる識見をもち、即刻の就任がかなう人をようやく見つけてきたのだろうが、財務省の出身者では賛成しかねると民主党は言う◆天秤(てんびん)の片方に、総裁
職が空席になることで日本経済と国民生活がこうむる不利益の数々を載せる。もう片方に、「財務省出身」の5文字を載せる。後者のほうが重たいという理屈がさっぱり分からない◆国民の「不安」をこれ幸いの餌(えさ)として針につけ、「政権」という魚を釣り上げたところで、それが何になろう。太公望、失格である。
(2008年3月19日02時00分 読売新聞)
浪々の身にある呂尚(りょしょう)(のちの太公望)が川に釣り糸を垂れていた。通りかかった周の名君文王に見いだされ、興国の功臣となる◆「釣れますかなどと文王そばへ寄り」。川柳にも詠まれた人材発掘の名場面である。健康で飛び切り有能な人間が気ままな境涯にあり、のんびり釣りをしてい
る。誰もが忙しい現代、何十、何百の川を訪ねても呂尚には出会えまい◆官僚OB、学者、財界人を問わず、「あすから日本銀行総裁に」と言われて首を縦に振れる人が何人いるだろう。ある人は仕掛かりの仕事で手が離せず、ある人は責任の重さに尻込みし、ある人は能力に、または健康に不安を
抱く◆福井俊彦総裁の任期が切れる前日のきのう、政府は後任に田波耕治・国際協力銀行総裁を充てる人事案を国会に提出した。任に堪えうる識見をもち、即刻の就任がかなう人をようやく見つけてきたのだろうが、財務省の出身者では賛成しかねると民主党は言う◆天秤(てんびん)の片方に、総裁
職が空席になることで日本経済と国民生活がこうむる不利益の数々を載せる。もう片方に、「財務省出身」の5文字を載せる。後者のほうが重たいという理屈がさっぱり分からない◆国民の「不安」をこれ幸いの餌(えさ)として針につけ、「政権」という魚を釣り上げたところで、それが何になろう。太公望、失格である。
(2008年3月19日02時00分 読売新聞)
2008-03-19(Wed)
イラク戦争の5年 天声人語2008年03月19日(水曜日)付
天声人語
2008年03月19日(水曜日)付
能天気だとあきれるか、無責任だと怒るかは人によりけりだろう。ブッシュ米大統領が先日、記者団との夕食会で「思い出のグリーングラス」の替え歌をうたったそうだ。外電を読むと、歌詞はなかなかの代物だ▼〈古いホワイトハウスを出て、気ままな暮らしに戻る、平壌の危機も心配しなくていい、もう
すぐ我が家の芝に帰る……〉。任期が残り1年を切った心境だという。「笑い」が求められる例会とはいえ、難問山積みの中で結構な心臓である▼〈古い仲間のコンディー(ライス国務長官)とチェイニー(副大統領)は、僕にサウジの石油の話をするが……〉の一節もあった。3人とも石油会社の幹部の経歴
がある。イラク戦争の狙いは、やはり石油でしたかと、問い詰めてみたくなる▼5年前のきょう(日本時間20日)、米軍はイラクに侵攻した。宿敵フセイン大統領を早々と追い落とした。だがすぐに泥沼となり、イラク市民と米兵の犠牲が増え続けた。大義名分だった大量破壊兵器はどこにもなかった。「愚
挙」と難じる声は時を追うごとに高い▼「苦しいときこそユーモア」は欧米の常だ。とはいえ国を追われて帰る家もない、多くのイラク難民を思えば、笑いもさめる。眉をひそめた出席者もいただろうと思ったが、総立ちで拍手を送ったらしい▼〈あなたがた(記者)も私をいじめた日々を懐かしむ……〉。歌はや
や調子はずれだったようだ。その「ブッシュの日々」は歴史にどう位置づけられるのか。世界が軋(きし)み、米の傷も深いイラク戦争の5年である。
2008年03月19日(水曜日)付
能天気だとあきれるか、無責任だと怒るかは人によりけりだろう。ブッシュ米大統領が先日、記者団との夕食会で「思い出のグリーングラス」の替え歌をうたったそうだ。外電を読むと、歌詞はなかなかの代物だ▼〈古いホワイトハウスを出て、気ままな暮らしに戻る、平壌の危機も心配しなくていい、もう
すぐ我が家の芝に帰る……〉。任期が残り1年を切った心境だという。「笑い」が求められる例会とはいえ、難問山積みの中で結構な心臓である▼〈古い仲間のコンディー(ライス国務長官)とチェイニー(副大統領)は、僕にサウジの石油の話をするが……〉の一節もあった。3人とも石油会社の幹部の経歴
がある。イラク戦争の狙いは、やはり石油でしたかと、問い詰めてみたくなる▼5年前のきょう(日本時間20日)、米軍はイラクに侵攻した。宿敵フセイン大統領を早々と追い落とした。だがすぐに泥沼となり、イラク市民と米兵の犠牲が増え続けた。大義名分だった大量破壊兵器はどこにもなかった。「愚
挙」と難じる声は時を追うごとに高い▼「苦しいときこそユーモア」は欧米の常だ。とはいえ国を追われて帰る家もない、多くのイラク難民を思えば、笑いもさめる。眉をひそめた出席者もいただろうと思ったが、総立ちで拍手を送ったらしい▼〈あなたがた(記者)も私をいじめた日々を懐かしむ……〉。歌はや
や調子はずれだったようだ。その「ブッシュの日々」は歴史にどう位置づけられるのか。世界が軋(きし)み、米の傷も深いイラク戦争の5年である。


